長文書

主にビートマニアのことについて書くブログ。元々は別の場所で書いていたけれど、はてなブログへ移転しました。その際、別所で書いた記事を一部こっちに移植しました。

思い込み(移植記事)

※この記事は2016/1/2に書いたものです※

こないだ中野モナコで人のプレー眺めてたときの話。明らかに腕の力に指の力が押し負けてる人がいて、見かねて指摘しようかと思ったけれど、それはきっと無意味だと悟って何も言わなかった。それと同時に自分にも同じようなところがあるんじゃないかと考えた。

僕はいつも自分を信じてビートマニアをしている。自分の押し方が正しく、自分の譜面認識が正しいと信じて鍵盤を叩いている。しかしそれは大抵の場合間違っている。というかむしろ全て間違っていると言っても過言ではない。なぜならいつも予期しないところで黄グレが出るからだ。ほとんどの音ゲーマーはそこで「仕方が無い」と考えるだろう。もちろん僕もそのうちの一人だ。だって自分以外に信じるものがないから、自分の知っている方法以外を知らないから。

じゃあ僕は一生そのまま、同じような配置で同じくらい黄グレを撒き散らしながら音ゲーを続けるのか。そうしていく以外に方法は無いのか。よく考える。

Q1: 自分は今までどうやって上手くなってきたのか
A1: 運指を鍛えて思い通りに指を動かせるようにし、認識力を鍛え譜面を正しく見られるようにした
Q2: なぜその方法で今まで通り上手くならないのか
A2: 具体的に何をすればいいのか分からないから
Q3: ずっと分からないままでいるつもりか

ここでA2に考えが戻る。具体的に何をすればいいいのか分からない。分からないことはできない、どうしようもない。じゃあどうすれば分かるようになるか。最近思いついた方法は、自分以外を信じること。自分ではないものを信じること。

もちろん今までも自分だけを信じてきたわけじゃない。十段の頃はスコアラー九段の言うことを信じ、皆伝になってからはライバルの皆伝を信じ、ここまでやってきた。そして行き詰っている。なぜ行き詰っているのか、答えは単純だ。スコアラー九段の言うことを心から信じきった時点で、スコアラー九段の考えを自分の内部へと取り込み、内包し、自分自身がそれと等価の存在になっていたからだ。自分以外を自分へと取り込んだ時点で、それはもはや自分自身だ。その状態で"かつて自分以外だったもの"を信じても、それは自分だけを信じているのと何も変わりは無い。

自分と自分以外の境界を見誤るなよ。