長文書

主にビートマニアのことについて書くブログ。元々は別の場所で書いていたけれど、はてなブログへ移転しました。その際、別所で書いた記事を一部こっちに移植しました。

社畜は生きる価値なし

近年、地方も都会も関わらず、あらゆる中小規模のゲーセンが次々と潰れていっている。先月には僕の住む街のすぐ隣にあるモナコ中野店、今月は知り合いがよく行っていたらしいチッタ八千代台店。毎月のように閉店していく。これについて、悲しい、信じられない、といった意見をツイッターで数多く見かけた。僕も悲しい。信じられない。でも、ある一部の人たちがそう思うことに関してはいささか不満に思う。ある一部の人たち、何らかの事情でゲーセンに行かなくなった人たち、様々な事情があるだろうが、ここでは「趣味を犠牲にして仕事を優先した人たち」に焦点を絞る。そういう人たちのことを、ここでは「社畜」と呼ぶことにしよう。

社畜にとって趣味とは、仕事よりも優先度が低いものなんだろう。社畜にとって仕事とは、与えられた分は全てこなす必要があり、断ることはできないものなんだろう。現に社畜に趣味の話を聞いてみても「仕事が忙しいからできていない」と返ってくる。とても常識のある考えだと思う。仕事の量を減らしたり、別の仕事へ転職するのはどうかと聞いても「周りに迷惑がかかる」あるいは「他に職がない、もしくは、他の職でも同じだ」と返ってくる。これ以上ないほどに合理的な考えだ。

でも、考えてみてほしい。仕事が忙しいから、周りに迷惑がかかるから、というのは本当に自分で考えた結論かを。その考えで自分自身が幸せか、自分が幸せにした人が本当に幸せになっているのかを。その考えは親や先生や上司に教わったもので、実は自分では疑問を抱いてるんじゃないかを、考えてみてほしい。

「間違いなく自分は幸せで、周りの皆も幸せになっている」と答える人はいるだろう。それはそれでいい。しかし、そう思わない人も必ずいる。社畜になっている自分自身に対して不満を抱いている人を今まで何人も見てきたから。一番の趣味から離れ、趣味が合っていた人との会話もできなくなっていき、そのままフェードアウトしていった人を見てきたから。

社畜は生きる価値なし」は少し大袈裟な表現だけど、「この先ずっと社畜でいるのはつまらない」くらいなら共感してくれるだろうか。もし共感してくれたなら、今すぐにでも社畜をやめるといい。別の部署へ異動するなり、別の職業へ転職するなり、転職先を決めないまま退職するのもいい。でもそれは生活に困るだろう。じゃあうちの家に来い。居候するんだ。ほら、「お前の世話になるくらいなら…」と、別の選択肢が浮かんでくるだろう。それを実践すればいいんだ。頼む、社畜のままでいないでくれ。頼む、嫌なら嫌と言ってくれ。黙ってても態度で通じるなんて、親子じゃないんだから、そんなこと思わないでくれ。本当に心からのお願いだ、自分の意見を言ってくれ。それで救われるゲーセンもあるだろうし、ゲーセンに限らずありとあらゆる趣味の文化が救われるだろう。